彼 の 者 の 血 を 受 け 継 ぐ 少 女
異国の地に舞い降りた一人の魔女の物語
26 救世主
マダムポンフリーは不満気だったが、誰も言葉を発しなかった。ドアを開けて入ってきたのは、私にとって予想外の人物だった。
「ブラックではありませんか!」
マクゴナガル先生はそう言ったけれど、私は一言も言葉を発することができなかった。スラッグホーン先生は完全に傍観者に徹しているようで、もう何も言わなかった。
沈黙が訪れた。誰もが彼の紡ぐ言葉を待ちかねていた。
ブラックがようやく口を開いた。
「・・・俺、偶然見たんです。が三人の女子生徒に追いかけられているのを。その内の一人は杖を構えていました」
彼はここで一呼吸置いた。
「杖を構えた人は、失神呪文を彼女にかけました。それで、は倒れて・・・、その後杖を持っていない人たちが彼女を担いでどこかに連れて行ったんです」
ブラックが真面目に話している姿を見るのは初めてだ。私に対してはいつも乱暴な口調で話すから、とても新鮮味があった。
「・・・ということじゃ」
校長先生と目が合った。彼は笑うように目を細めた。私は、とてもじゃないが笑う気分にはなれなかったが、何か返したかったので、軽く会釈をした。涙の気配は去っていた。
沈黙が再び訪れた。
その後のミス・クリスティへの尋問で、彼女は自分たちのしたことを洗いざらい話したようだ。私は医務室で手当てを受けたあと、寮に帰されることとなった。
マクゴナガル先生とスラッグホーン先生は気まずそうに私を見るので、私は無言で軽く会釈した。
医務室のドアの向こうで、ブラックが待っていた。私を待っているのか、別の人を待っているのか判らなかったから私は彼を無視して寮・・・ではなく必要の部屋へ行こうとしたが、彼が私について来たので、私を待っていたのだと判った。
暫く無言だったけれど、私から口を開いた。
「とても助かった、君が無実を証明してくれたから」
「別に、」
ブラックは相変わらず私と目を合わせずぶっきらぼうな口振りだった。さっきの真面目なブラックは何処へ行ってしまったのかと心の中で問い掛けた。
彼の横柄な態度は、私にとって日常の象徴に思えた。私は、まだこの学校にいても構わないのか。今ようやくそれを実感できた。
気が抜けた。
日常を近くに感じた。
熱いものが込み上げる。
「なっ、ど、どうしたんだよ!」
慌てるブラックが見えた。しかし視界はぼやけていた。頬を伝う何かに気付き、やっと私は自分が涙を流していることに気付いた。他人の前で泣くなんてみっともないとあれだけ思っていたのに、今はそんな気持ちは一切ない。
ただ、嬉しくて泣いているのだ。私は学校を去らなくても良い。
良かった。とても。
涙を流す私を前にして、彼は何も言わなかった。
掌で顔を覆うと手に痛みを感じた。怪我をしているんだった。
明日には治るとマダムポンフリーは言っていたから、日常生活に支障はないだろうが、今は涙も拭うことができない。手の甲で何とか拭おうとするが、上手く拭えない。とうとう私はローブの袖で涙を拭こうとしたが、目の前に藍色のハンカチが現れた。
「使えよ」
「いいの?」
「返さなくていい、返すなよ」
私は遠慮なくそれを受け取り、それで涙を拭いた。涙は止まった。少なくとも、彼と別れて必要の部屋へ入るまでは、泣かずにいられるだろう。
「ごめん」
「??」
私が突然謝った意味が判らないようだった。私も突然言ってしまった。
もっと順序良く言えば良いものの、今の私に論理的思考だとか合理的考えだとかを要求することは愚かなことらしい。
「この間は・・・、大人気ない対応をしてしまって、ごめん」
この間、と言って彼は判ったようだ。
謝罪の件。
あの時は本当に大人気なかったなぁと思う。謝罪に見えない謝罪でも、彼にとっては精一杯のものだったんだろう。なのに私は一蹴してしまった。その時の彼の怒りたるや、計り知れない。
「いや、・・・俺も、すまん。あの時は・・・その、」
「うん、セブルスを見て機嫌が悪かったんでしょう」
「・・・ああ」
セブルス、という名前を聞いて彼は顔を少しだけ歪めた。本当に彼らは仲が悪いんだと再認識した。
暗い廊下を二人で歩く。二人分の足音が静かな廊下によく響いた。蝋燭の炎のみが道標。
もう誰も追いかけて来ない。
「じゃあ、私はここで・・・」
「スリザリンの寮ってここだったか?」
彼は尋ねた。
大嫌いなスリザリンでも、寮の位置を知っているのか彼は、と少し感心した。
私はグリフィンドールの寮など知らない。隠し扉や隠し部屋などの位置は誰よりも知っていると自負できるが、普通の教室の位置などを、私は早く覚えないといけない。
「ううん、この辺りにはね、私の秘密の部屋があってね」
「秘密の部屋?」
「ルームメイトも信用できないから、最近は自分の部屋で寝てないんだ。何されるか判らないからね」
少し驚いたようだった。
私の、スリザリン内のあまりの立場の低さというか、悪さを甘く見ていたようだ。
今私は自分の部屋で寝ることもままならないほど、嫌がらせを受けている。部屋の机の上に手紙が置いてあるぐらいだ。寝ているときに部屋にこっそり侵入して何かするのなど容易だろう。
「はあ、大変なんだな、頑張れよ」
「うん。・・・今日はありがとう、色々と」
ブラックは何も言わずに俯いた。
私は何かおかしなことを言ってしまっただろうか。すると彼は再び顔を上げた。
「別に、感謝とかしなくていいから」
「え?」
「お前のこと嫌いだったから、魔法かけられてどっかにつれて行かれたとき、先生に言おうか言うまいか迷った。先生には結局話したけど、それでも一度は黙っておこうと思った。だから俺にはお礼を言われる筋合いないから、別に俺に感謝しなくていいからな」
私は、本当にこの人と仲が悪かったのだろうかと、彼の言葉を聞きながら、改めて考えてしまった。
彼から受ける視線は冷たくて痛かったけど、今の彼からはそんな雰囲気が全く感じられない。
ブラックはそう言うけれど、私は多分いつまでも彼に感謝し続けるだろう。
でも、ここで私がまたありがとうなんて言ったら、再び私たちの間で喧嘩が始まるんじゃないかと不安になったので、とりあえず苦笑いを浮かべるに留めた。
「それじゃ」
「うん、おやすみ」
彼の後ろ姿を見ながら、前よりも彼の、私に対する雰囲気が和らいだのを感じた。
それでもスリザリンの私と行動を共にするのはあまり好ましいことではないだろうに。
これからは、きっとリーマスと私が喋っているのを見たとしても、彼は前のように怒りを覚えたり私に突っ掛かったりすることはないくらいは私は信用されたかもしれない。
良かった。
今日は本当にありがとう。
私は彼の背中に頭を下げた。
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20061222