彼 の 者 の 血 を 受 け 継 ぐ 少 女
異国の地に舞い降りた一人の魔女の物語





15 或る契約


追い払ったは良いけれども、ピーブスの言葉は深く私の心に突き刺さった。

友達がいない、一人ぼっちか・・・。

しんと静かな場所だから、余計に物悲しさが引き立つ。途端に哀しみが込み上げてきて、どうしようもなくなって涙が溢れてきた。こんな感覚を、私は知らない。早く何処かで泣いてしまいたい。けれど、こんなところで泣いていたら、もし誰かがやって来てもそれを隠すことができない。何処か、何処か私が誰にも見られず、誰にも知られずに泣くことのできる場所は・・・。

人の気配を複数、近くに感じる。
ああ、夕食時だものね。

しかし今の私の顔は涙でくしゃくしゃだ。こんなみっともない顔など見られたくはない。慌てて周りを見回すと、さっきまではなかったドアが壁に嵌め込まれている。

私は何も考えず、ドアノブを捻って中へ飛び込みドアを閉めた。部屋はさほど広くはないが、小奇麗だった。そこにはたくさんのティッシュペーパーがあり、ゆったりと寛げそうな部屋だった。

私が探していた理想の部屋が、本当に現れたのだ。最初、私の中には驚きの気持ちしかなかったが、直ぐに哀しさがそれを侵食し、私は声を出さず涙を流した。

思う存分泣いて、泣いて、泣いて。


結局その部屋で眠ってしまった。




私が起きたのは誰もが寝息を立てていた未明。まだ外は仄かに暗く、太陽はほんの僅かしかその気配をさせていなかったから、外は肌寒い。

私は割りと八月を過ぎても暑さが長引くところに住んでいたから、まだ九月なのにもうこんなに涼しい、というよりは寒い夜なんて初めてだ。きっとイギリスではこれが日常で普通なのだろう。そして私もこれから七年この地で暮らす内に、今度は日本の気候が肌に合わなくなってくるのだろう。



こんなに朝早く起きたことがなかったから、早朝の空気がこんなにも清清しいなんて知らなかった。しかしその清清しさは気候の心地好さもあるのだが、精神的な安定といった要因も関係していた。

初めてスリザリンの人とまともに会話をしたのだ。しかもその相手は、他のスリザリンの人たちのように私を邪険に扱わなかったし、グリフィンドールの人たちのように私に心を切り裂くような鋭い視線を向けたりもしなかったのだ。これは私にとってかなり新鮮な経験だった。彼の目にはただ単に好奇心や不思議といった、私を不快になどさせないような感情しか浮かんでいなかった。それがより私を愉快にさせた。

彼はセブルス・スネイプと名乗った。
彼は私の目が少し腫れていることを指摘したが、それ以上の追及はしなかった。それがまた嬉しかった。

「朝早いんだね」
「君もだろう」
「私は今日はたまたま早かっただけだよ」
「そうか、僕もだ」

ずっと本のページから離さなかった視線を私に向け、ニヤと笑った。私も同じように笑い返す。

「スネイプ、君もまた一人で行動しているようだけど、一人が好きなの?」
「一人のほうが気が楽だ」

サラリと返答する。確かに一人は楽だが、一人孤立しているという状況は、思っている以上に人を傷つけたり、人にストレスを与えたりするものだ。しかし彼の目にそういう感情は見られなかったし、本当に一人を楽しんでいるように思われた。

「ただ・・・」
「ただ?」
「一人でいるよりも二人でいるほうが楽だと思えるような者がいたら、僕はその人と行動しようとは思っている」

そして私をじっと見つめる。
手元の本はいつの間にか閉じられていた。何処かのページの端から橙色の紐がチラと見えた。

、君はスリザリン内で孤立しているようだが、」

その歯に衣着せぬ物言いは、私にとっては耳が痛くあまり耳に入れたくないものである筈なのだが、今はとても爽快なものに思えた。

「僕と行動を共にすれば、二人一組になるとき、ペアを探すのに苦労しなくて済むだろう。ペアを作るときの君や君の周りの様子を見ていると、こっちが悲しくなってくる」

私は魔法薬学や呪文学の授業風景を思い出した。
私と頑なに口を聞くことを拒む同級生たちは、私と組むことがさも貧乏くじを引いた者に対する罰だと言わんばかりに、私と二人組になる権利を押し付け合った。私と組むと、自分も不利になるんじゃないか、と先輩達からの評価を過剰に気にする親愛なる我が同級生にとって、それは息をするくらい自然に行われた。毎回毎回なんとかして誰かにはずれクジを引かせていた。

しかしそんな苦々しい思いを、もうしなくても良いのかもしれない。スネイプがいれば、二人組を作るときにあのような惨めな思いをしなくても大丈夫。
そんなことを頭の中で、一足す一の計算を解くよりも早く考え、損得の秤にかけた結果、私は頷いた。

「良いね、その考え。君が構わないならそうさせて頂きたいのだけど」
「ならば交渉は成立だ、また後で」

そう言うと彼は再び本を開き、ページに目を移した。
余りにも素っ気ない、素っ気ないがこれが私たちの距離であり、交渉という名の意味である。

私たちは友人になった訳ではない。ただ話し相手になっただけであり、そして二人組を作るときペアになることを約束しただけなのだ。悲しくはないが、虚しさが込み上げて来る。
しかし、話し相手ができただけで、私にとってはかなりの進歩なのだから、これ以上文句も言うまい。

私は部屋に戻った。
二度寝するためではなく、宿題を取りに行くために。昨日あの部屋で眠ってしまったため、宿題に全く手をつけていないのだ。

 


20060807
20070319 一部改訂