彼 の 者 の 血 を 受 け 継 ぐ 少 女
異国の地に舞い降りた一人の魔女の物語





2 私は魔女、だけどカエルは勘弁

夢現の中で、私は侑子さん―私の育ての親だ―の言葉を思い出していた。

「アナタには、いずれ大きな選択の時が訪れる」

「選択」とは、このことだったのか。
店で初めて校長と出逢ったときのことが頭に浮かんだ。




日本に於いては明らかに異質な格好で、彼は店を訪れた。湿気の多い日本の夏に、見るからに暑苦しそうな長いローブを纏っている御高齢の老人は、眼鏡をかけて髭をたくわえていた。

「侑子さんは居るかね?」

外国人の方だとばかり思っていたから、その口から非常に流暢な日本語が発せられることに驚いた。目を真ん丸くする私を愉快そうに見つめる御老人の視線に気付き、私ははっと我に返った。

「え・・・えぇ、います、いますよ、少々お待ちくださいませ」

私は大声で店主の名を呼んだ。奥でゴソゴソしているようなので、きっと客人向けの着物に着替えているんだろう。
侑子さんに客、というのも珍しい。いつもは足が勝手に動いて、訳も判らずこの店にやって来る、という客が殆どだ。つまり、一見さんが多いのである。

「お通しして」

侑子さんの声が奥から聞こえた。私はそれに返事すると、どうぞ、と言って客人を店へ招き入れた。




「とうとう来たのね、この時が」
「長かったのう」
「えぇ、本当に」

しみじみと呟きながら、二人は私が出した冷たい麦茶を一口飲んだ。
この御老人と同じような雰囲気を纏う侑子さんを見て、私は彼女の実年齢について暫く考え込んでしまったりした。

さして深刻な様子でもなさそうだが、一体どんな用件でこの御老人はこの店にやって来たのか、私にはさっぱり判らなかった。

「侑子さん、この子が・・・」
「えぇ、あの時の子よ」
「そうかそうか、大きくなって・・・」
「??」

私のことを話しているようなのだが、その内容についてはさっぱりだ。少しの居心地の悪さを感じつつ、目にキラリと光るものを浮かべる御老人を見て、心の中で「私はアナタのことなんぞ知りませんわよ」と呟いた。




侑子さんが私を見た。

「自分の出生について、疑問に思ったことは?」

私は、一呼吸置いた。

「・・・あります、けど、侑子さんが話さないので、聞きませんでした」

私は、物心ついた頃からこの店で暮らしていた。侑子さんが私の母でないことは、幼いながら判っていた。では、私の両親はどこなのか。私は、恐らく彼らは事故か何かで死んでしまったのだろう、と推測していた。

「これからアナタの出生を話すわ。よく聞いていて」

真剣な眼差しに威圧され、私は襟を正す。生半可な気持ちで、いい加減な態度で、これからの話を聞くことは許されないのだと、肌で感じた。私が背筋を伸ばすのを見て、侑子さんは小さく頷いた。

「まず、これを先に言わなければいけないわね」

私の育ての親は、私の目を真っ直ぐ見た。



、アナタは魔法使いなの」






パチっと目を開いた。
コンパートメントの外の通路から大きな声が上がったため、決して深くはない眠りから醒めてしまったのだ。見慣れぬ場所にいるため、寝惚けてもやのかかったような頭で、ここは果たして何処だろう、さてはまだ夢の中にいるのだろう、と思っていると、急に飛び跳ねる何かが私に飛び掛ってきた。咄嗟にそれを掴むと、甘い香りが鼻を柔らかく刺激した。

!起きたの?」

リーマスの声がしてそちらを向いた。
あぁそうか、私は今、ホグワーツ魔法魔術学校へ向かっている列車の中にいるんだった。
上手くものを考えられないほど寝惚けていた頭は、その"何か"のお陰で完全に覚醒した。

「ああ、おはよう、リーマス」

そして手の中の黒・・・いや、茶色の物体を見た。手足を動かして、私の拘束から何とか逃れようとしている。形から判断すると、どうやらこいつはカエルのようだ。チョコレートの甘い匂いをさせたカエル。どうやらこいつはチョコレートでできているらしい。

「ありがとう、うっかり逃しちゃったんだ」

そう言ってリーマスは自分の手を私のほうへ差し出した。多分、カエルを寄越せ、という意味なんだろう。私はおずおずとカエルを差し出すと、彼の手はそれを引っ手繰るように取った。そして、それに嬉々とした様子で齧り付いた。
以前、ピラニアのいる水槽に小魚を放り込むというショーのようなものを水族館で見たことがあるが、彼のその、私の手からカエルを奪い取るときの勢いというか、カエルへの執念は私にそのピラニアを思い出させた。

「リーマス、それはなに・・・」

建前ばかりを前面に出し、本音を心の奥へ奥へとひた隠し、顔には心とは裏腹な笑顔を浮かべ、相手のご機嫌を窺うことを日常的に行う日本人の私が、いとも簡単に本心を出してしまうほど、その光景は奇妙だった。

茶色いカエルに嬉しそうに齧り付く英国系美少年。

こんな構図を、一体誰が予想しただろう。

「これはね、カエルチョコレートって言うんだ。ひとつ買ったら魔法使いが載ってるカードがついてくるんだよ。僕チョコが大好きだから、七つも買っちゃった!」

私は色々と突っ込みたくなった。
カエルを頬張るリーマスにもだが、その前にこのカエルチョコレートという何の捻りもない名前のお菓子に。
どうしてカエルの形状をしているのか。
リンゴとか、星型とか、ハートとか、他にも喜んで口に入れたくなるような形なんて山ほどあるはずなのに、数ある形の中から、どうしてわざわざカエルを選ぶというのか。

そして、何故チョコレートが動く必要があるのか。

あれか、カエルの踊り食いか。
今魔法界では踊り食いブームなのか。

一人突っ込んでいると何だか胸の内に虚しさが込み上げて来た。
もう何も言うまい。
しかしリーマスよ、それを私に勧めるのは止めれ。


もどう?美味しいよ」というリーマスに、「いや、お腹いっぱいだから。ごめんね」と断りを入れる。
私にはそれは食えないよ。

やっぱり食えない。


カエルは食えない、例えチョコレートで出来ていたと頭では判っていても。



 


20060706
20060901 一部修正